Lockerな日々
漫画の仕事・アメリカ暮らし・犬・フィギュアなどの日常ブログ。
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DATE: 2013/04/15(月)   CATEGORY: 育児
コメントのお返事。
出産のお祝い拍手、コメントをありがとうございます!
すぐにお返事をしたいので、まずは記事を独立させます。
ただ、育児の合間なので時間がかかりますこと御容赦ください。

しかも前回の記事も、書き始めた日から下書き保存すると、UPした日の日付は反映されないのね…。

夜はミルク以外、寝てくれる有難い息子でありますが、昼間はミルク以外、泣いている息子です…。
こうしてブログを書いている時間はどうしてるんだ、というと、スリングに入れてあやして寝かして、そっと膝に置いて、の状態。だから結構無理な姿勢で書いているのでしんどいです涙。

よほど眠い以外、けしてひとりでベッドに寝てくれないので(添い寝も駄目)、お母さん、昼寝できないよ~。

まあでも、赤ちゃんってこんなものでしょ。
色々と初めてで不安だからね。泣いて当たり前。

産んだばかりは泣き声が緊迫観念に囚われて恐怖でしたが、今は慣れました。
ただ、慣れた泣き声以外は不安になりますよ。
首の体操のためにうつ伏せ寝をさせるんですが、顔がシーツに埋もれた状態でのくぐもった泣き声は胸が張り裂けそうになります。
でも、実は息子、首に問題があるので、起きているときに限り、他の子よりうつ伏せ寝をさせなければならない。(寝てしまうと胃を圧迫し、突然死の原因に)

首の問題のお話はまた後日。

とにかく意外と冷静に育児をしている私であります。
持病が悪さするのはもう少し後が通例。免疫機能が戻って来る、産後3ヶ月くらいの頃です。
どうかこのまま悪さしませんように。
ちなみに産後に起こした子宮内反症の疾患ですが、とりあえず回復に向かっています。
産後6週間後の健診でDr.からOKが出れば、普通に生活して大丈夫らしい。
週末、旦那様と息子とワンコ達とで初散歩に出てみましたが、ろくに歩けなかった…。体力落ちてます涙。

スクリーニングテストの結果も出まして、息子に病気は遺伝(クレチン症:成長ホルモンが足りない先天性甲状腺の病気)していませんでした。

生後1ヶ月で5kg越してれば、クレチン症じゃないわな…。

20130414b.jpg
通常より多い、産婦健診に向かう母に付き合って外出着な息子。
足は着ぐるみの3分の1しか入ってません。

20130414.jpg
爺ちゃん婆ちゃんが日本に帰る日、駅まで見送りに行くのに付き合う息子。
足は以下略。
(乗ってるのはベビーカー、ベビーシート両方に装着出来るバスケット)

20130414c.jpg
再び母の健診に付き合って帰宅し、寝ているので脱がし途中で写される息子。
足以下略。

そうそう、健診日に付き合わせた初日、エコー技師がわざわざ待合室に出て来て、「写真と同じ顔で出て来たわね~」と笑って眺めて行きました。写真が綺麗に撮れた日にスタッフ全員に見せたことといい、よほどおもしろかったようです、息子のほっぺ。

20130414d.jpg
ぽよんぽよん。

拍手ありがとうございます!
以下は拍手コメントのお返事です。
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DATE: 2013/03/26(火)   CATEGORY: 育児
アメリカ出産&生還体験記
みなさまご無沙汰しておりました。

生きております。ワタクシ。

なかなかブログを書く余裕がなく、ちまちまと書き溜めてこんなに日数が経ってしまいました…。

さて。ということで。無事、息子を産みました。

20130317b.jpg
退院日の息子と母(お婆ちゃん)の手。
39週目、7lb12oz(約3515g)での誕生。
出産直後から産科公認の「パパ似」でございます。やはり旦那様の縮小版を産んじゃった。
(しかし最近周囲も認めるほど私にも似て来た)

息子は元気に産まれましたが…、タイトル通り、私のほうが産後に命の危険に遭いました。
2万分の1の確率で発症し、7人に1人が産んだ直後の赤ちゃんを置いて虹の橋を渡るという疾患。
幸い医療スタッフの迅速な処置と技術で助かりましたが、よって長めの入院生活を送っておりました。

出産までの詳しいことはこれから綴りますが、私の産後の大惨事に関しては、非常にショッキングな内容ですので、追記に分けます。勇気のある方は追記をご覧あれ。

「出産は命がけ」

を私自身・家族も痛感したのでございます。


高齢出産・体外受精・甲状腺機能低下症という、ハイリスク妊婦の太鼓判を捺されていたため(今回のことで更に次回の妊娠もハイリスクに拍車がかかりました)、出産予定日まで待つと胎児に異常が出るかもしれないという懸念から、担当医(女医)に計画出産を勧められ、陣痛促進剤使用での分娩となりました。

分娩予定日の前夜に産院のLDR(陣痛・分娩・回復室)に入院。
地元の病院にある産科では、分娩するのはこのLDRの3部屋のみ。あとは帝王切開で、入院室は2人部屋5部屋という簡素な設備。しかしここいらで唯一の総合病院のため、ある程度の緊急事態には対応出来る場所。
ただ、NICU(新生児集中治療室)の設備が十分ではないので、分娩時の胎児・新生児、妊婦・産婦に異常がある場合はドクターヘリで都会の病院へ搬送されます。

とりあえず異常がない状態で妊娠期間を過ごしていたため、私は転院することなく地元での分娩となったわけです。通されたLDRも今まで一度も覗いたことがない部屋で、私独断でのランクでは真ん中の部屋でした。

今まではずっと、家で陣痛が起きて、5分間隔になるまで家族と耐えて待って、TELして病院へフラフラになって行くというセオリーを夢?見て覚悟してました。でも計画出産だから、普通に入院準備を済ませてシャワー浴びて晩御飯食べてGo to Hospitalの余裕ぶり。ある意味心の準備が出来ているけど必ず訪れることだから怖い、という複雑な心境でした。

入院服に着替え、子宮口を内診。ぎりぎりまで妊婦体操を頑張っていたにも関わらず、妊婦健診時の2cm近いという状態は依然変わらず、子宮口を柔らかくする薬を入れ、翌日の促進剤のための点滴の針を左手の甲に装着。
手の甲は痛いけれど、動き易いので我慢。そのまま就寝となりました。
尿の状態を知りたいから、使用するときはナースを呼ぶようにと言われたトイレの便器には、軽量カップが填められており、家族が使えない状態。折角LDRのプライベート空間がもったいない…。
夜中、定期的に薬の投入が続く中、点滴に食塩水が付けられ(促進剤のために血液の流れをスムーズにする)、トイレが大変でした。

しかも、尿意でナースコールのボタンを押しても一向に来ない。空調の音が飛行機内の音にも重なり、まるで気分は「CA呼び出しても来てくれない夜間飛行の機内」
手伝いに日本から来ていた母を就寝前に家まで送り届けた旦那様がLDRに泊まってくれたんですが(最初は母が付き添いの予定でしたが、言葉の問題もあるので旦那様に)、私では届かない位置にあるナースコールを発見した旦那様が押したボタンでやっとナース到来。

トイレ入っている間、ボタンが機能していないことが発覚、「教えてくれてありがとう~」とナースが旦那様にお礼を言っているのが聴こえた…。

そうそう、この夜間に担当してくれたナースSと、その後の昼間に担当してくれたナースJには、特に思い入れがあります。もちろん、面倒を見てくれたナース全員に感謝していますけれども。

入院してすぐに、これからのことについての説明と、同意書へのサインをナースSが行ったのですが、私達は以下の点を公約して貰いました。

・子宮口が4cmになったまま進行が2時間以上停滞しても、胎児・妊婦に異常がない限りは帝王切開しない。
・こちらが頼まない限りは、無痛分娩にしない。
・産後のカンガルーケアで初乳を与える時間を設け、新生児へ人工乳を与えないこと。

アメリカはとにかく、妊婦が苦しむ時間を短くしようとします。
だから無痛分娩は当たり前だし、帝王切開に踏み切るのも日本よりはるかに早急です。

私が無痛分娩を避けたい理由は、麻酔の影響が胎児に行く恐れを回避したい・陣痛が遠のいて分娩が長引き、帝王切開になるのを回避したいというもの。
なにせ、分娩予定日中に産みたかった。

誕生日占いがそのほうが良かったから。

…まあ、母子共に無事なのが一番なんですけどね。
でも計画出産だから、せめて良い日に産んであげたいじゃないですか…。
それに、帝王だと産んですぐの、新生児が覚醒状態にある間のカンガルーケアが出来ない。
覚醒状態のときに、目を合わせ、乳首を吸わせることがとても重要だというので。それで新生児が母と乳首を覚えるため、母乳育児がスムーズに行くそうです。

さて、サインも済ませ、夜中に薬の影響か少しずつ痛みが出て来てるな~という状態で夜明け。
アメリカでは陣痛が来てから入院すると、麻酔対策に飲食が禁じられます。
せいぜい氷を口に含む程度。
しかし、朝ご飯にスープとゼリー、ジュースが出ました。これにはびっくり。
それでも、私がとんでもない量の食物アレルギーを持っていることを申告したため、手にはアレルギーを記したバンドがはめられ、それに添った内容のメニューでしたから、実際はもっと色々あったのかもしれません。

20130325.jpg
分娩後、長期入院中の抗生物質用点滴が外れた右手。アレルギー表示されたのが黄色いバンド。
その隣が採血した血の番号、次が入院患者バンド、一番端が新生児の母親を証明するバンド。

食べることが好きな上に入院食やら機内食やらも好きな私は早速がっつきたかったのですが、薬の影響か食欲がない。てんこもりのゼリーは半分、旦那様が連れて来た母に食べて貰いました。

休みを取ってくれた旦那様と母に付き添われながら、入院二日目の朝、内診で子宮口がちょっと余裕の2cm、しかし胎児の頭に触れた!と言われて嬉しい中、促進剤投与が始まりました。
促進剤使用は管理が必要なので、入院時から付けていた腹の張り計測器と胎児の心音チェック装置はそのまま、当然ベッドに転がったままで薬が効くのを待ちました。

夜間担当のナースSが、昼間担当のナースJと交替します。
「私が(再び今夜)担当のときに産まれるかしらね」と言い残した彼女の言葉は本当になるのですが、その後の惨事に立ち会うことになるとは彼女も予想だにしなかったでしょう。
声を犠牲にしてまで尽力してくれた、彼女の献身的な仕事ぶりは追記にて。

促進剤が順調に効いて、やがて生理痛のような痛みが継続的に始まり、いよいよか!と。

が。

昼近くになって、増していたはずの痛みが停滞し、なんだか弱まって来る。
担当医がチェックに来て、子宮口の開きが停滞していることもあり、促進剤を強くするも効果なく。
定期的に腹の張りをチェックする装置を調べに来たナースJに痛みがなくなってしまったと訴えると、「これだけ強くしてるのに効かないのはおかしい。あなたの張りの間隔が狭いので、これ以上強くするのは危険」と言われてしまい、

…やはり。私はいつも、薬の効果が逆だったり効かなかったり効き過ぎたりする体質…。

これはもう、自分でなんとかするしかない。

「ベッドから起きて、運動していいですか」
とお願いすると、LDRと産科内ならOKと許可が。点滴と装置をバッテリー式に変更し、破水対策をしてから、陣痛を起こすために散歩。
窓の外は雪が舞っていました。

スクワットをすると胎児の心音装置が圧迫されて働かなくなるので、しこを踏む?歩き方(見られると恥ずかしい…)で部屋をうろうろ。
どんどん腹の膨らみが下がって来ているのを家族と実感しつつ、やがて少しずつ陣痛の間隔が空く。
張りばかりで痛みはそれほどなかったのですが、間隔が空いたとのことで、ナースJが促進剤を強めてくれました。

で、散歩のときに昼ごはんのトレーが廊下にあったので、私の?と期待していたら、ナースJが「冷めちゃったから、新しいのを用意するわね」と。日本人、もったいない精神で、そのままでいいと言ったんですがおニューが運ばれて来ました。でも、朝に訪ねて来たアレルギー確認のスタッフによって、ゼリーが抜かれていたので、腹の空いていた私は「半分夫が食べるから」と持って来て貰いました。
普段は添加物がてんこもりで敬遠してますけど、こういうときくらい楽しみたい。でも、やっぱり半分は旦那様に。(でも、全部だろうが半分だろうが、その後意味がなくなるんですが…)

お昼を挟んで相変わらず、散歩としこ踏み歩きを繰り返して、ナースJが内診すると、子宮口、3cm。
やっと進展!すると、人工破水出来るかどうか、担当医が判断すると言われ、悩んでいると担当医がチェック到来。

「人工破水可能だけれど、どうします?」

破水をする=子宮口が開くかもしれない=陣痛が長引けば感染症の危険なので帝王切開

イチかバチかの賭けに出て、人工破水をお願いしました。
処置は簡単。ひっかき棒のようなものでちょい、と。
すぐにバシャ、と生暖かいものが。

破水後は、強烈な痛みが来ることが多いので、覚悟をしてましたが…その通りに。

本陣痛、到来。

丁度、昼間担当のナースJが、夜間担当のナースSと再び交替するタイミングでした。
強い生理痛が襲って来た私を宥めつつ、ナースJがお別れ。
ああ、優しくて内診が丁寧なナースJ、次お会いするときは赤ちゃんと一緒かしら…。

ナースSが来る頃には、増して来る痛みとせばまって来る痛みの間隔。
破水させたから、最初から間隔が短いので、序々に痛みに慣れるという余裕はありません。
しかしピークの痛みの度合いは全て最初から同じ感じ。
ただ、ピークの長さがどんどん増す感じ。

で、ピークの痛みはなんと、今までの人生で味わったことのあるもの。

・とんでもない下痢の痛み
・卵管造影の痛み

なんだ、痛みが続くのがしんどいだけで、痛み自体は経験あるんじゃん。

と余裕。

…。

…続くと人間、逃避したくなりますね…。

ベッドの上、前屈みで耐えようとすると、胎児の心音装置を圧迫するので駄目と交替した夜間担当ナースSに言われる。痛いと身体を縮めるのは生き物の性。いや、のたうち回るほうが激しい痛みかもしれないけれど。(だって実際、分娩後の惨事でそうなったから)

で、起こしたベッドに寄りかかれと言われるも、尾てい骨を折っている私にはその体勢は無理。
加えて、分娩台にも変身するベッドは、ベッドを起こすと丁度尾てい骨の辺りに継ぎ目があるのでそれまたしんどい。でも陣痛が来ても寝転がっていたら、胎児が降りて来にくいから座っていたい。

にっちもさっちも行かず、とうとう。

「…Epidural please…」

分娩でいきむためにも、その後の生活のためにも、尾てい骨の痛みを出すわけにはいかない。
無痛にすると、リラックスして子宮口が開きやすいというのも聞き、根を上げた形とも言えなくもないですが、楽になるほうを選択しました。
胎児に薬の影響が出ることをずっと心配していたし、持病との悪影響で自分に障害が出るのも怖かったけれど、もう既に促進剤打っちゃってるし…と、息子よ、すまん。

麻酔打つと決めたからその前にトイレ、と、陣痛に耐えつつ用を足し、ベッドに転がり、もう話す余裕もない頃、麻酔科医到来。再び身体を起こし、腰に針を打つそのタイミングで陣痛ピークの波。
針がズレると駄目なので動いてはいけない。通常で刺されるよりは気が紛れたと言えなくもないけれど、もう一杯一杯ですよ。

しばらくして、薬が効き、痛みがすーっと引いて行く。楽になったので笑顔を見せたら、ナースSが「笑顔のほうがいいわ~」と慰めてくれました。
で、ずっと支えていてくれた旦那様、自分も痛い気分になっていたらしく、一緒に身体の緊張解いてましたよ。

幸い、針を深く刺してしまうSpainal(腰椎麻酔)の事故もなく、麻酔科医のグッジョブぶりで一息付き、ベッドでリラックス。横になっていても子宮口は開くから、と言われたので。すると、しばらくして痛みの波が。
痛みを完全にブロックすると、いきむ力がなくなってしまうから、子宮口が開く痛み?は我慢しないと…と思いつつも、結構な痛みに。
旦那様、「痛みに耐えられなかったら、麻酔注入のボタン押して自分で調整していいって」とボタンを示す。
なんですか、セルフですか。それじゃあがんがん押し捲る人多いんじゃ…。

無痛に逃げましたけれども、ワタクシ、まだ意地がございますことよ。帝王にならないためにも早く分娩せねば!
っていうか、これ以上薬増やすなんて胎児に申し訳ない!

ということで、ボタンを遠ざけて増して来る痛みに耐えました。
で、ナースSの定期的な内診で、子宮口が7cm。一気に!
そして日付が変わる一時間前、とうとう全開10cm。

やった、いい方向に進んだ!上手くいきめば日付変わる前に産める!

カーテンで仕切られていた隣の部屋では、出産した新生児をチェックする設備の準備が。
早く分娩の準備もしてくれ~!と念じている間にも痛みが増す。

そしてようやく、ベッドが分娩台に変身し、天井に収納されていたライトも出され、医療用ハサミやらの道具のワゴンが運ばれて来て、いよいよ分娩開始。

ああ、初めての出産の場がアメリカなんて、珍しい体験させて貰います。

しかし、私が希望していた、手摺バーを装着してしゃがんだ状態での分娩はさせて貰えず。
滅多にやらないから、という理由には呆れましたが、私の産道が普通よりカーブしているという理由も挙げられると仕方ない。尾てい骨より分娩時間短縮のほうが優先。

で、ナース達と「いきみ方」の練習をしている最中に担当医到来。術衣を来てLDRの雰囲気は完璧な「お産の場」。

いきみ方は、陣痛の波が来たら深呼吸3回、4回目の吸い込みで息を止め、「PUSH!」の掛け声で
「ププ(大便)を出す感じで」いきんで、とのこと。

…が…いよいよ分娩開始となって、陣痛の痛みが遠のく。困った。
でも、これか?という張りに合わせて、教わった通りにやるとナース達も合わせてくれるので、間違ってはいない様子。
しかし、いきむも手応えがないからよく解らない。
それから、私のいきむタイミングが早いとのことで、4回目の吸い込みの後にワンテンポ置いてからいきんで、との指示。
頭の横に来た旦那様に、「…陣痛がよく解らないんだけど?」と訴えると、張りの装置の波と合ってるから大丈夫だと言われ、一安心。
自信を付けていきみをトライ。

が。手応えない。

でもナース達もいきむ度、「グッジョーブ!」と褒めてくれる。
アメリカ人は褒め上手。褒められると調子に乗る私、嬉しいけどでも手応えないんですけど~涙。

足元に移動した旦那様が「髪の毛見えて来たよ!」と。
ナースが鏡を用意して、私からも見えるようにしてくれたのだけども…恥ずかしい…汗。
そうそう、分娩が始まるときに、眼鏡を掛けていいか尋ねると、担当医が渋る。酸素マスクをする場合があるから、駄目らしい。
でも承諾してくれたので、よく見える視界で鏡を睨みながらいきむ。
お、確かに黒い髪が見える。
でも、それが出て来る気配がない…。見えることがいいことなのか悪いことなのか。

とうとう、日付が変わってしまい、母ちゃん諦めた。
これはもう、焦らず息子と息を合わせて産むしかない。

いよいよ担当医のDr.がナースと交替して会陰のマッサージをしながらいきみに参加。
「グッドグッドグッドグッド…ハラハラハラハラ」

ハラってなんだ?

あ、「Hold on」か。

どこか冷静な頭で、顔に力入れず目を瞑らず下半身に力を込め…と言い聞かせているものの、余りの疲れに支える母の手を振り解く。母、すまん。いきみの合間の休憩でも頭を持ち上げられてるから…(母も初めての立会いで一杯一杯。ちなみにアメリカの立会いでは担当助産師、実母、姉妹、夫の立会いが認められています。その他の男性陣は待合で待機)。
旦那様は私の視界に入る位置で「頑張れ!もう少し!」と励ましながら、汗だくになって一緒にいきんでいる。余りの気迫にナースに心配されてました…。

何度トライしても「出してる感」がない。
するとナースSが、「ドラマとかではさっさと出産してるように見えるけど、実際にはこうして時間がかかるのよ」と。それは良い励ましだけれども、「いきみ3回」でひねり出した方もいますが?

顔に力は入れない、と決意してても歯を食い縛ってしまう。ていうか、そうしないと出ない。この人生最大の便秘に挑むには!

で、とうとう腹を引っ込めればいいんだと気付く上に、「実際ププ出しちゃってもいい」と羞恥を捨てたら、やっとコツが掴めました。

息子、産道を通る感覚。

ぎぇ~!股の間にデッカイものが挟まっている!いきみを止めるとしんどい!

3回セットだったいきみを、4回セットに。
息を吸う余裕がない…!でもやらねば~!!

一回だけ胎児への酸素確保のためにいきみを止められたけれど(私にも酸素マスクが装着されていた)、どんどん降りて来る感覚に合わせていきむのは許されて、人生最大の歯の食い縛り。

嬉しかったのは、吸引も鉗子もせずにいてくれたDr.
ナースに腹を押して貰いたかったけれど、それもなく。Mid-wife(助産師)じゃないからでしょうか。

ハサミを3回、会陰切開の後、Dr.が赤ちゃんを引き出したのはすぐでした。
分娩練習開始から、2時間後のこと。

「…フ、ニャアァア~」

薄紫をした息子、掠れた小さな産声で姿を見せてくれました。
Dr.が口から羊水を素早く吸い出す中、ナースが布に包んで私のお腹の上へ。
(引き出した瞬間から、顔が私に見えるように処置してくれたDr.)

ずしり。

う、息子よ、重いな。
そして出て来た直後からはっきりと解るほど、旦那様の顔だ…。

でもあったかい。
やっと出て来てくれた。

「頑張った、よく頑張ったね、偉い、偉い」
泣き叫ぶ息子を撫でて褒める私の横で、旦那様も私を
「よく頑張った!いや、ホント、よく頑張ってくれた!」
感極まった声で労い、肩を叩いてくれます。笑顔を向けられたか覚えてない…。
励ましてくれてたお礼を言えたか覚えてない…。
親子3人、ループにならない所が、私の限界を示してます…。

ナースがデジカメ(私の)でシャッターを構えるから、無理矢理笑顔を作って親子3人で初記念撮影。
カンガルーケアをしなくちゃ。でも布があるし私も入院服だから肌と肌が合わせられない。それに、体力限界。
ヘトヘトな頭で考えていると、

「痛っ!」

Dr.の後産の処理だろうと思うんですが、痛い。
胎盤出すのって、こんなに痛いの?

余りの激痛に、息子を健康チェックのために連れて行かれるのに素直に渡す。
これではゆっくりカンガルーケアなんて考えられない。

Dr.が何かをする度に腹の中が引きちぎられそうな激痛。
無痛のおかげもあるかもだけど、陣痛中も、分娩中も、一度として叫び声を上げなかった私は、とうとう

「痛い、痛いー!!」

遠くで健康チェックを受けている息子を見守っていた旦那様を必死に呼ぶ。

「…内臓破裂しそうだから、やめてって言ってー!!」

自分で英語で言う余裕すらない。

慌てた様子の旦那様が駆け付け、Dr.に伝えるも、Dr.もなにやら深刻且つ焦った様子で何か応え、けして処置の手を止めない。

そしてとうとうDr.、

「Dr.○○(産科代表の男医)を呼んで!」

切羽詰った真剣な声が繰り返されました。
激痛に騒ぎ、暴れていた私は、今度は血の気が引くような、意識が遠のくような感覚に襲われ、旦那様に
「…なんか変、…なんかおかしい」
と訴えた後、動けなくなってしまいました。
周囲では慌しく動き回るナース達、飛び交う指示、機材があちこち移動する音、私の身体に色々と何かをされて行く様子を感じながら。

…もしかしたら私、息子を生まれた直後から母無しっ子にしちゃうかも。


追記には、意識がほとんどない私のうろ覚えの記憶と、一部始終を見ていた母の証言、旦那様の後日談を合わせた様子を記します。
前述したように、本当にショッキングな内容なので、構わないという方だけお読みください。

以下は記事の〆です。

妊娠中はずっと性別が周囲から判らないと言われ、旦那様の上司から女の子だと言われ続けたお腹の子は、立派なシンボルを付けた男の子でした。
病院の産科の壁には世界地図があり、出産した母親の出身地にピンが刺されています。
陣痛を付けるための散歩中にナースJから貰ったピン(母に地図を見せていたら渡してくれた)を、旦那様が私の出身地に刺しました。
今回の産後の惨事で助かり、今後また成長した息子と再びあの地図を眺められるかと思うと、感動もひとしおです。
ナースSは産後の緊急手術の間、ずっと私の側で声を掛け続け、身の回りのことをしてくれました。
ナースJはその後、担当になることはなかったのですが、退院の日にわざわざ入院部屋まで来て、労いとお祝いをしてくれました。
病院を出る際に、彼女と息子と私とで記念撮影をさせて貰いました。(よく担当してくれたナース達は退院時近くにいなくて挨拶出来ず)

田舎の病院だけれど、入院中、二人部屋を私達夫婦が陣取っても(旦那様がもうひとつのベッドを使用して泊まることを許可してくれた)、息子が新生児室の主になっても、いなくなったら寂しいと言ってくれた暖かな良い病院で、ここで産めて良かったと思います。

拍手たくさんありがとうございます!
おかげさまで無事息子を産むことが出来ました。
拍手コメントのお返事は、次回にさせて頂きますね。
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